
2025年03月06日 Zenoaq Story
【Story】動物薬メーカーとしての使命を開眼したアメリカ視察
写真:アメリカの牧場主とカウボーイハットをかぶった社主 福井貞一
ZENOAQ Story(ゼノアック ストーリー)では、月に1回オリジナルの読み物記事を配信し、弊社に関わる動物やヒトなどのストーリーをお伝えします。 |
ありがとうございます。
迷いの中で決意が固まる瞬間は、誰しも経験したことがあると思います。
ゼノアックの創業者福井貞一(さだかず/以下、社主)にも、「動物薬専門メーカーの日本全薬工業」として決意が固まった瞬間がありました。今回はそのエピソードを紹介します。
今ではゼノアックの主力製品となった「鉱塩」ですが、発売から10年間は売れない時期が続きました。それはもちろん、経営を圧迫することを意味しますが、動物薬というカテゴリはそもそも、少量多品種が基本の業態でした。資金を得るために新製品を開発しても、当然コスト高やリスクが伴ってきます。社主は会社の先行きに不安を感じると、日本の畜産業界に対しても懐疑的になり、本当に自らの人生をかけられるものか?と、悩みを抱えている状態でした。
もし、手を引くなら早いほうがいい。そう考えた社主は、答えを畜産業界の先進国であるアメリカに求めることにしたのです。そこで、専売公社の杉部長にアメリカ視察を相談したところ、当時農林省が畜産振興に本腰を入れていたこともあり、「塩と農産物視察団」に参加できることになりました。専売公社の3人、メーカーの3人からなる視察団でした。
視察に先立っては、社員や取引先の方々が壮行会を開いてくれました。そして「この視察は必ずわが社に利益をもたらす」と社員に約束し、1961年1月27日から3月初めまで、1か月余りの視察に出発しました。
この視察は5,664kmの行程に及び、社主は広い国土を持つアメリカの畜産業界の実態を目の当たりにしました。アイオア州の動物薬メーカーの社長から日本の家畜頭数について聞かれ、社主が120万頭と答えると、こんな話をしてくれました。
"アメリカではカリフォルニア州だけでも120万頭の家畜がいるのだから、日本の畜産の規模も会社も小さいでしょう。私の祖父は70年前に開拓のため家畜を導入しましたが、病気が発生して大損害を受けました。そのため、まず薬の開発を決意しました。薬は自分の牧場で効果が出ると、他の牧場にも分けてあげました。以来、誰もが安心して家畜を飼うことができるようになりました。アメリカの畜産業界の発展は、祖父の研究開発が基礎になっているのです。あなたも、まず第一に日本の畜産を発展させ、家畜を増やすことに努力しなくてはなりません。そうすれば、あなたの会社も大きくなるでしょう。あなたの代では無理かもしれませんが、畜産業界の発展に力を入れれば、孫の代になってあなたの努力は報われるでしょう。"
社主は、目の前に立ちはだかっていた厚い壁が一挙に崩れていく爽快さを味わいました。その後の視察でも、畜産動物への細やかな栄養管理や飼育ぶりに圧倒されました。畜舎は管理が行き届き悪臭は少なく、薬は処方箋から形まで工夫されていました。その中でも牛に塩やミネラルをブロック状にして摂取させているのを見て、売り上げ不振で悩んでいた鉱塩についても光明を見出すことができたのです。。
アメリカの動物薬メーカーは、売るための販売部門に偏らず、各部門が連携し、畜産業界を発展させるために必要な薬品を提供するという社会的責任を遂行していました。そのため、動物薬メーカーは畜産業界と深い信頼関係で結ばれていました。薬は病気を予防し家畜を健康に育てるためという原則に立つアメリカと、病気が発生して初めて薬屋が登場する日本とでは発想の土台が違っていました。
社主にとってアメリカ視察は、動物薬メーカーとしての使命を開眼する機会となりました。動物薬は企業経営のためではなく、畜産業界のために存在している。自分ができることは、安心して畜産を営める環境を提供すること。メーカーの成長と畜産業界の発展は同じ意味を持つと気づいた社主は、再び動物薬に人生をかけようと心に誓いました。
一、たゆまぬ錬磨によって畜産界になくてはならぬ会社にしよう
一、ここで働く者が、ここにつながる者がすべて幸福になる会社にしよう
自然に口から出た言葉が、社是として制定されました。そして本当の意味で「動物薬専門メーカーの日本全薬工業」の歴史がスタートしたのです。日本の畜産業界発展という遠大な目標に向かって、一歩ずつ進み始めました。
写真:当時制定された社是
そしてその想いは、社主の孫である福井寿一(としかず)社長に引き継がれ、現在の経営理念「私たちは、動物の価値を高め、つながる全ての人々の幸福に貢献します。」として、今も大切に守り続けられています。
ありがとうございました。
※福島民友新聞 連載「私の半生」(1989年)より