2026年03月11日 Zenoaq Story
【東日本大震災】あの日から15年。動物の命を守るため震災と向き合った現場について、社員インタビューを通じて振り返ります。|Zenoaq Story

写真:東日本大震災の影響で大きな被害を受けたゼノアックの倉庫
|
ZENOAQ Story(ゼノアック ストーリー)では、不定期にオリジナルの読み物記事を配信し、 |
ありがとうございます。
2011年3月11日、東日本大震災。福島に本社を置く私たちゼノアックにとっても、あの日は決して忘れることのできない日です。震災から15年、当時の現場で何が起き、どのように乗り越えたのか――。一般製剤工場の宗像工場長(当時チームリーダー)へのインタビューを通じて振り返ります。
あの日、何が起きたのか
午後2時46分、突然の激しい揺れ。第一工場で後輩社員と調剤準備中だった宗像さんは、立っていられないほどの衝撃に襲われました。床が上下に揺れ、上から天井や物が落ち、「死ぬんじゃないか」という恐怖を感じます。揺れが収まり着の身着のまま外に避難すると、多くの社員が中庭に集まっていました。本社オフィスでも役員会中に一部天井が落ちてくるなどの被害があったようです。外では真っ昼間にも関わらず暗雲が立ち込め、あたりは真っ暗に。横殴りの雪と風にブルブルと震えながら、余震をやり過ごしました。社長から帰宅指示があり、その日は解散となりました。しかし宗像さんはすぐに帰る気になれず、しばらく片付けをしてから帰宅。翌日は土曜日でしたが様子が気になり会社へ。会社に着くと同じような社員が数名いました。

写真:地震の影響で工場の天井が崩れている様子

写真:地震の影響で薬剤が散乱している様子
工場の被害と復旧への挑戦
工場も大きな被害を受けました。工場建物の損傷、蒸気や市水などのユーティリティー配管の破断、地震の影響で重い設備の位置がずれたり、落ちて変形したり、それにより生産ラインは停止しました。しかし、動物用医薬品を待っているのは"生き物"です。「とにかく早く復旧させなくてはならない」という思いで、復旧作業がスタートしました。まずは全社員で物流倉庫の良品と不良品を仕分けし、出せる製品は出荷に備えました。次に、再包装が必要な製品をリパックする組と、工場内の片付けをする組に分かれて作業を進行。交通事情の影響等で協力会社の到着を待てず、工場では社員自らが機械の位置を戻しラインを復旧していきました。全員が必死に動き、4月23日にようやく生産を再開することができました。
※当時の第3棟(鉱塩工場)は一番大きな被害を受け、損傷状況により復旧を断念し、閉鎖していた小林工場にプレス等の設備を移設し、同年10月に再稼働させ生産を移管しました。
お客様や協力会社の支え
原発事故による風評被害の影響もありました。製品の安全性を証明するため、測定と証明書の発行が求められました。幸いにも立地が離れていたことから、安全性に問題のある製品は検出されませんでしたが、長期間にわたり測定作業は継続されました。そんな中でも「ゼノアックを応援しよう」というお客様がいたことで、会社を存続することができました。また工場の復旧についても、創業者の時代からお付き合いのある協力会社に優先して対応いただいた部分もあり、改めて多くの方々の支えを実感する機会となりました。
次世代へのメッセージ
「四の五の言わずにやるしかない」という責任感だけだったと宗像さん。緊急事態だった震災当時は、工場が動くまで休まなかったそうです。震災を経て次世代に伝えたいことをお聞きすると「なんでも経験。」と明るく一言。自分自身、この経験があれば何があっても乗り越えられると思えたことから、経験の大切さを伝えたいとのこと。宗像さんは1990年入社で今年54歳。一緒に頑張ろうという姿勢で「こんなことがあった、こんなときはこうするんだよ」という経験を次世代につないでいます。
震災から15年。私たちはあの日の記憶を風化させず、動物の価値を高め、つながる全ての人々の幸福に貢献し続けられるよう、これからも歩み続けます。
ありがとうございました。

写真:インタビューに答えていただいた宗像工場長と第一工場